甘酔い気分 2013.3.3発行ひなまつり企画ペーパーSS

甘酔い気分

「え?これお酒なんですか?」
「ああ。お前にとイオニス領主から送られて来た」
 まだ宵の早いうちに本宮へ帰って来た皇帝は、手土産を一つ持って来た。青いリボンが結ばれた細長の硝子瓶の中身は、ほんのりと薄い赤色――桜色の葡萄酒である。寒い冬を季節に持つサークィン皇国ならではの特産品、凍らせた葡萄から作られた貴重な酒だ。
「酒は苦手だと言っていただろう? だから体に障らない程度のものを厳選したと言っていた」
 そんな味なんだろうかと興味を示し、首を傾げた佐保に、皇帝は瓶を掲げて小さく笑った。
「飲んでみるか?」
 高校生だった佐保は酒に慣れていないことを自覚している。そのため、食事や宴席でも酒類を口にすることはほとんどない。飲み慣れていた方がいいかなと練習はしているが、あまり進んでいないのが現状だ。
 その佐保は、皇帝が手ずから酌んでくれた葡萄酒をそっと口に含み、
「あまい……」
 びっくりと目を見開き、隣に座って眺めていた皇帝の顔を見上げた。
「レグレシティス様、これすごく甘いです。それにお酒っていう感じが全然しなくて、僕でも飲めそう。とってもおいしい」
 酒というからにはそれなりに度数はあるのだろうが、柔らかで軽い飲み心地と舌触りは、酒というより元いた世界で飲んでいたジュースのようだ。
「それはよかった。そんなにうまいか?」
「はい。レグレシティス様も少し味見してみます?」
「お前が味見させてくれるのなら」
 皇帝の言葉に「はい」と返事をした佐保は、にこにこと半分ほど残っていた杯を皇帝の口元に差し出した。
 思い描いていたものと違う佐保の反応に苦笑する皇帝だが、佐保が気づくことはない。
 傍で見ていた侍従は思った。
(佐保様、そこは別の方法で味見をさせましょう)


2013.3.3発行ひなまつり企画ペーパーSS
at 2017-03-17-20:29 | SS 月神SS

雪見 2011.12.27

雪見

「ふう…やっと出来た」
 佐保の顔には何かを成し遂げたものだけが得ることの出来る達成感と満足感が溢れていた。白く冷たかった頬は、今は紅潮して熱を持っており、分厚い旗袍の下の冷え切っていたはずの体も、今はほこほこと湯気を出したくなるくらい暖かい
 外は一面の雪。どこもかしこも真っ白な雪に覆われている本宮の内庭にいるのは、今は佐保一人。
 暖かい部屋の中、窓の向こうからこちらを見ているミオに手を振って、少し前から取り掛かっていた作業の完成を知らせた佐保は、仕上げに、と持ってきた赤や青、黄色やオレンジの帽子を自分が作り上げた雪の像――といえば聞こえは よいが――雪だるまたちの上にちょこんと被せた。
 内庭といっても、そう離れた場所ではない。部屋の大窓から出た露台の階段を下りた軒先と言ってよいほど近い場所である。その露台に並ぶ両手の幅二つ分ほどの高さの小さな数体の雪だるまは、もちろん佐保の手製だ。
 丸い雪玉を二つ重ねた雪だるまに、木の実で目をつけ、枝で手足をつけ、簡単に繕っただけの端切れを襟巻にして、仕上げに小さな帽子を被せられた雪だるまは、不恰好だがなかなか愛嬌があるのではと思っている。
 こちらの世界でも冬になると雪像が街の中に立ち並ぶことがあるが、雪だるまのような簡単な形状のものは意外と見かけないもので、前々から作ろうと思っていたところ、たまたま朝のうちから雪が止み、少しの晴れ間を見せたのを幸いと庭に出てせっせと作業した甲斐があったというものだ。
 自己満足ではあるものの、久しぶりに外で体を動かした分、気持ちも気分もいい。ともすれば、屋内に籠りがちな長く寒いサークィン皇国北部の初めての冬。
 最初はミオや担当警備だった弥智も手伝ってくれていたのだが、まず外の寒さと雪の冷たさに、初めてサークィンの真冬を体験する南方サラエ出身の弥智が脱落、旗袍を着込んで手伝っていたミオは「出来上がったらあったかいお茶を飲みましょうね」という佐保の言葉を受けて、一足先に中に戻って所望の茶を淹れて待っている状態だ。
「佐保様」
 ガラス窓が小さく内側から開かれ、ミオが顔を出す。
「佐保様、また雪が降りそうですよ。そろそろ中にお戻りください」
「はい」
 最後の小さな雪だるまに黒い帽子を乗せた佐保は、薄暗くなってきた空を見ながら言うミオを見上げ、にこりと顔を綻ばせた。
 口を開くだけで凍えるほどの白い息が絶えず零れるこの季節、外に長時間いるのは慣れていてもなかなか辛いものがあるが、今の佐保にはその冷気さえも火照った熱を冷ますのにちょうどいい冷たさだ。とはいうものの、感覚的には氷点下を超えている気温の庭にこのままいては風邪をひいてしまうことは自明。
 佐保はパンパンと雪に塗れた手袋をはたいて、半分凍って張り付いていた雪を落とすと、階段に立って真っ白な庭の中ほどに向かって名を呼んだ。
 雪でしんと静まる庭によく通る佐保の声が響いた瞬間、平らで真っ白だった雪の中からひょっこりと顔を出した緑と金色。秋に佐保が譲り受けたラジャクーンの幼獣二匹である。
 まだ細くて小さなままの幼獣は、大好きな佐保の後をしょっちゅうついて回り、今日も庭に出る佐保と一緒に出てきた後は、最近天気が良い日には日課になっているお気に入りの雪掘りをして遊び回っていたため、ひょっこりと顔を出したその頭には真っ白い雪が綿帽子のように積もっている。
 きょとんとそろって同じ方向に首を傾げる二匹に思わず笑みが零れ落ち、佐保は腰をかがめて両手を前に差し出した。
「もうお部屋に入るよ。戻っておいで」
 やわらかい声が聴こえた瞬間、二匹は慌てて穴から這い出し、一目散に佐保に向かって駆けてきた。駆けると言っても小さな二つの前肢しか持たないラジャクーン、他の多くの動物のように四肢を使って走るのではなく、まさに這ってくるのだが、置いて行かれるのは嫌だと必死になる様子が伝わってくるだけに、佐保も、室内から様子を眺めているミオや木乃、護衛たちの表情も緩くなる。
 必死にたどり着いた幼獣が頭を摺り寄せるのを、雪を払いのけながら撫でてやり、そっと手のひらに乗せて目の高さに持ち上げた。
「たくさん遊んでたね。穴掘りは楽しかった?」
 緑と金の揺れる尾は、二匹がご機嫌な何よりの証拠だ。手袋をはめた手はあまり居心地がよくないのか、しきりと指先を口で咥えて引っ張って脱がせようとするが、分厚い革の手袋は小さな獣がいくら引っ張ったところで脱げるものではない。好きなように手袋にじゃれ付かせながら佐保は、暖かな室内へと体を滑り込ませた。




 旗袍を木乃に預けて椅子に座った佐保の前に出されたのは、少し甘い香りのする牛乳と生姜と茶葉を混ぜたチャイのような飲み物で、サークィンでは一般的に広く普及している子供や女性たちが好む飲み物だ。
「美味しい」
 ふうと少し熱めのそれを冷ましながら飲む佐保は、厚手の陶器の茶器を通して伝わってくる暖かさに、ふうわりと笑みを浮かべた。
「ミオさんが淹れてくれるこれ、本当においしいです」
「ありがとうございます」
 丁寧に頭を下げるミオの表情は、やはりどこか誇らしげだ。皇妃付の筆頭侍従としての責務もあるが、それ以上に単純に佐保に喜んでもらえるのが嬉しいという気持ちが大きいせいだ。
 そんな和やかな午後の早いお茶の時刻を過ごしていた佐保は、近づいてくる数人分の足音と、開かれた扉に「あれ?」と首を傾げた。
「お帰りなさい、陛下」
 朝に王城へ出仕する姿を見送ったはずの皇帝レグレシティスは、ゆったりとした動作で佐保に歩み寄ると、頭頂に軽く口づけた。
 皇帝夫妻のこんな微笑ましい甘やかなやり取りは、すでに侍従や護衛には見慣れた普段の光景の一つになっている。
「もうお仕事終わりですか?」
 見上げる佐保へ、皇帝は肩を竦めて苦笑した。
「いや、少し時間が出来たからお前の顔を見に来ただけで、またすぐに執務に戻る」
 言いながら佐保の隣に腰を下ろしたレグレシティスの前に、新しい茶器が用意される。通常皇帝の世話をするのは侍従長の役目だが、佐保には木乃とミオの二人の侍従がついており、団欒の際には給仕の一切を彼らに任せることも多い。
「じゃあ、ほどほどのところで休憩を切り上げなくちゃ、宰相様に叱られてしまいますね」
 皇帝は黙って笑った。謁見予定だった相手が雪の都合で到着が遅れたために出来たほんの僅かな時間。その僅かの時間を皇妃の元で過ごすと告げた皇帝と、特に驚くことも否定することもなく当然のように首肯した宰相。皇帝夫妻の蜜月が続いているのはもはや周知のことだ。
 往復に掛る時間や手間よりも、暖かく迎えてくれる顔が何よりも皇帝にとっての癒しであり、活力の源になっている。
 短い間でも寛ぎ易いようにと榻に場所を移した二人は、ぴたりと並んで腰掛け、穏やかに談笑している。そのほとんどは、皇帝がいない間に何をして過ごしていたかという他愛のないものだが、そんな穏やかな時間は何よりも二人にとっては望ましいものでもある。
「――それで佐保、外に並んでいるあの愛らしいものたちはお前が作ったのか?」
「あ」
 皇帝の灰色の瞳と指さす先にあるものに気づき、佐保はほんのりと頬を赤らめた。
 内庭を臨めるように置かれた榻からも、露台の端に並んだ雪だるまがよく見える。思い立ってすぐに有り合わせの布で作った帽子や襟巻だが、神花の控えめな色に比べると、薄らと白く曇った硝子窓の此方側、室内からもすぐにわかるくらい、白一面の雪景色に華やかに映えている。
 だから確かに愛らしくはあり、自分ではなかなかよく出来たと満足してはいるのだが、やっていたことは芸術でもなんでもなく単なる雪遊びであり、子供っぽいことをしていた自覚はある。
「…雪が止んでたから…」
 恥ずかしそうに俯いた佐保の首元は、ほんのりと赤く染まっていた。
「あの、あんまりじっと見ないでくださいね?本当に、ぱっぱって作っただけだから」
「そうか?よく出来ているように見えるぞ」
 例え世辞だったとしても、上手だと言われて悪い気はしない。
「全部で七つ作ったんです。雪だるまだけだったらもっとたくさん作れるんですけど、帽子や襟巻が足りなくなっちゃってあれだけ」
「楽しかったか?」
「はい」
 佐保は元気に返事をしながら頷いた。
 確かに外は寒く冷たくはあったが、旗袍や手袋に耳当て付つきの帽子は冷気を完全に遮断してくれた。外気に晒されていた顔も、動いているうちにまったく寒さを感じなくなったのは本当だ。
「外で遊ぶのはいいが、無理はしないようにな」
「はい」
 風邪を引くから、怪我をするからと、皇帝が佐保の行動を制限することはほとんどない。伴侶へ十分に甘い皇帝だが、過保護すぎることはまるでなく、その大きな腕の中に守られていると感じるのは、こんな時だ。
 いつの間にか侍従たちは別室に下がり、部屋の中には二人だけ。長閑でゆったりとした二人だけの時を過ごしていた佐保とレグレシティスだが、
「――レグレシティスそろそろだぞ」
 軽く叩かれた扉と外から掛けられた聞き慣れた声に、皇帝は残念そうにため息をついた。
「迎えが来てしまったな。――入れ」
 少し間をあけて開かれた扉の外には騎士団副団長のマクスウェルが立っていた。
「こんにちは、副団長様」
 立ち上がり革の仮面で顔の半分を覆い、手袋を嵌めた皇帝の旗袍の襟を整えながら佐保は、皇帝の幼馴染へと笑いかけた。
「寛いでいるところ悪いんだが、そろそろ皇帝陛下を連れてくな」
「副団長様もお迎えご苦労様です。今日はずっと中ですか?」
「外だったり中だったり、いろいろだな。団長は中で書類と睨めっこだ」
 そのため、今日は団長直々につける稽古がなく、騎士たちの表情が明るいと冗談めかしてマクスウェルは笑う。
「ま、たまにはこんな日があっていい。な、レグレシティス。お前もそう思うだろう?」
 悪戯っぽく片目を瞑られて、レグレシティスは「そうだな」と深く頷いた。
 朝、出仕する時には夜が更けるまで佐保の顔を見ることが出来ないと思っていたが、予定にない佐保の顔を見に立ち寄ることが出来た。
 皇帝というもっとも重い職責を担っているレグレシティスは、朝に本宮を出た後は夜遅くまで帰ってくることはない。佐保と共に夜の食事をとるのもそう多くなく、だから少しでも予定に空きがあれば本宮へ顔を出すようにもしている。佐保のためというよりは、レグレシティス自身がそうしたいからだ。
 軽く佐保と唇を合わせた皇帝は、ふと硝子窓の向こうを見て、灰色の瞳を細めた。
「佐保、お願いがあるのだが――」
 皇帝の望みを聞いた佐保は、「えっ?」と目を丸くした後、それはもう顔中を笑顔にして大きく頷いた。
「すぐに用意しますね!」



 昼少しまでは晴れ間の見えていた空も、また冷え込んだ気温によって小雪が舞い始めている。皇帝が執務を行う部屋は、暖が効いているために薄着であっても寒さを感じることはないが、それでも外の寒さは感覚的に伝わってくるものでもある。降り積もる雪、白い窓と景色。サークィン皇国北部に位置する王都では、当たり前の風景でもある。
 しかし、黙々と筆記具を走らせる宰相も、書面を捲る皇帝も普段ならあまり気にすることのない窓の外に何回も目を向けていた。意図してのことでなく、無意識のうちに向けられたそこには、確かに普段とは違うものが置かれていた。
「失礼します」
 そこに入室して来たのは騎士団の黒い制服を纏った騎士団長リー・ロンで、
「陛下、署名をお願いします」
 皇帝の前に書状を差し出した彼は、ふと横を見て窓の外にある見慣れない物体に首を傾げた。彼の記憶では、午前にこの部屋を訪れた時にはなかったはずのものだ。
「陛下、あれは?」
 皇帝の護衛を主な任務とする騎士団団長として見逃すことが出来ず、窓辺に手を当て覗き込んだリー・ロンへ、皇帝は簡単に一言だけ説明した。
「雪だるま、というものらしい」
「雪だるま…ああ」
 それだけで団長には十分に通じた。
「妃殿下らしい」
 漏れた笑みの先、窓の外にちょこんと並ぶ、二体の雪だるま。一つは片方よりも少し小さく、少し大きめの一つの浅皿の中、一枚の襟巻らしき布を一緒に巻いて寄り添うようにして並んで立っている。
 最初は一つだけを持っていくつもりだった皇帝に、一人だけじゃ寂しいからと、佐保が二つを一緒に持たせてくれた。大事に皿を抱えて歩く皇帝の図に、副団長は含み笑いを隠しきれず自分が持つと申し出てくれたのだが、こればかりは自分で運んだ。
 執務机に座っていても自然に視界に入る場所に置いた雪の人形は、ほんのりと気持ちを暖かくさせてくれるものだ。
「いいですねえ、これ」
「欲しがってもやらんぞ」
「そこまで図々しくありませんよ」
 団長は肩を竦めて苦笑したのだが――。



 翌日、さっそく本宮を訪れた騎士団団長と皇妃が二人してせっせと雪だるまを作る光景が目撃されたのは、必然と言えば必然の成り行きだっただろう。
 その日の夜、本宮前まで馬車で戻って来た皇帝を外で出迎えたのは、侍従長キクロス以下使用人たちの他、高さも大きさもまちまちのいくつもの雪だるまの姿だった。ご丁寧に、片手は剣を持つように枝が上に掲げられている。
「リー・ロンだな」
 大きな呆れのため息に、佐保は小さく頭を下げた。
「ごめんなさい陛下。団長様がすごく張り切ってらして、止めることが出来ませんでした…。あの、お庭にはもっとたくさんあるんですけど、ご覧になりますか?」
「そうだな、見せてもらおうか」
 共に歩く佐保は知らない。
 自分の知らない楽しい時間を他の人間と過ごしたことへの妬心を、皇帝が抱いていることを。その隠れた妬心が皇帝にとある決意をさせたことを。



 大雪が降り、すべてが銀白に覆われたその日、本宮では仲良く雪だるまを作る皇帝と皇妃の姿があった。仲睦まじく楽しげな様子に、手出し無用を言いつけられ眺めているだけの一同の表情も楽しげだ。


「陛下も大人げないというか、意外に稚気があるというか」
「…煽った本人が言うことか?」
at 2017-03-17-20:23 | SS 月神SS